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36.“この世”と“あの世”は分かれていない? “この世”と“あの世”とか、天国と地獄の世界は、霊的な波長 の違いによって分かれているが、何か壁や天井のようなものがあっ て隔てられているわけではない。 生きている人間であっても、霊的な波長を合わせることさえでき れば、実は、どんな「場所」へも自由自在に行き来することが可能 なのだ。原理的には。 けれども、ごく普通の人間が、天国の高い霊層と波長を合わせる ことはなかなか難しく、逆に、“この世(三次元)”の一つ「上」 の世界である「四次元」にある地獄や、成仏しきれていな霊たちの 世界と通じるのは簡単なのである。 観阿弥・世阿弥の父子が芸術として完成させたと言われる、日本 の古典芸能の一つ、「能(楽)」では、「幽霊」が主役の話が多い。 戦いに敗れて無念を抱いたまま死んだ、平氏や源氏の有名な武将 たち(の霊)が、死んで肉体を失った後に霊魂が赴いた「阿修羅地 獄(あしゅらじごく・永遠に戦いが続いている地獄)」での苦しみ のため、自分がかつて命を落した古戦場に立ち寄った僧侶を頼り、 「成仏させてくれ」と、地上に彷徨い出てくる・・・という筋書き がほとんどである。 その武将たちは、“この世”の出来事としては、その僧侶がやっ て来るはるか数百年前に死んでいるはずだが、その数百年前に肉体 を持って存在した人(の霊)と、“今現在”に生きている僧侶とが 「出会う」ことが起こり得る、という真実を、昔の日本人は常識と して知っていた、ということではないだろうか。 能楽を見たことの無い人たちに、入門的によく演じられるものに 『船弁慶(ふなべんけい)』があるが、これは、都を落ちてゆくた めに、弁慶と共に舟で海へ漕ぎ出した義経に、合戦で死んだ平知盛 (たいらの・とももり)の「幽霊」が突然、海中から現れて、義経 に戦いを挑むという話だ。 生きている人間を相手にするように、刀を抜き、挑みかかる義経 に、僧侶である弁慶が「ここわ我におまかせあれ」と、数珠を押し 揉んで、「法力」で知盛の幽霊を撃退するシーンは、なかなか迫力 があるものだ。 また、最近でも、映画『アザーズ』では、孤島の古い邸宅の中で、 生きた人間と幽霊の存在とが交錯し、お互いに「姿の見えない他者 の気配」を描いていて興味深かった。 アメリカでは、日本の「ホラー映画」の人気が上がってきている そうだが、神と悪魔、天国と地獄、天使と邪霊・・・を、はっきり と区別するキリスト教を信じる人たちが、日本人と同じように、目 に見えない「霊」の存在に気づき始めたということだろうか。 <参考書籍> 『神秘の法』 第2章 憑依の原理 ☆上記書籍の全目次は、こちら 人気ブログランキング←クリックしてね (o^-')-☆ 電網都市アルファポリス 投票してね (o^-')-☆
by komi-naoko
| 2005-02-22 13:00
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